扉2枚、家に持ち帰りました
私がいつも通る道に大好きなお屋敷が一軒ありました。その家の門構えは美しく重厚で門の裏にはたまに猫がお休みをする秘密の花園のような庭が広がり、その裏にはコンクリートと石で作られた興味深い建築があり、そこを通るたびに私は空想を巡らせていました。そんな門の前に解体のお知らせが貼り出されたのが2025年の11月ごろ。それはそれは言いようもない気持ちに包まれ、自分の所有物でもないのに何故かとてもやるせない気持ちになったことを覚えています。解体される前に一度でいいからあの建築の秘密を知りたいという気持ちが募り、何度もその家の前を通っていたところ、そんな思いが通じたのか、(長いプロセスは端折りますが・・・)家の中を親族の方にご案内していただくという幸運に恵まれました。
私が不思議に思っていたコンクリート・石造りの建築は応接室だったようで、背の高い両開きドアを開くと毛足の長い淡いベージュの絨毯が敷かれ、ゴージャスなシャンデリアのある、令和では考えられないような設えでした。案内してくださった親族の方はこの家にあるものは全て処分するので好きなものがあればなんでも持ち帰っていいとおっしゃるので、お言葉に甘えて小さな花台やマリア様とベネチアの小さな絵を持って帰りました。帰宅後、あのお屋敷が解体されるということは(当たり前のことですが・・)壁も天井も扉も照明器具も全てが処分されるということなんだよなぁ・・・せめてあの美しい扉など、どこかの業者が再利用できないものかなぁ・・・なんて漠然と考えていた時、なぜ、あなたは他力本願なのですか?あなたの心が動いたのならば、あなたが動きなさいという心の声が聞こえたのです。そして、テラスハウスで活用できるのではないかと閃き、すぐに施主に相談をして、現場監督に相談をして、親族の方に相談をして、とりあえず扉を引き取る約束をいたしました。
2026年の1月某日。私は主人と子供たちを連れてあのお屋敷を解体前に再度訪ねました。そして幸運なことに親族の方は竣工当時の図面や写真を見せてくださいました。当初、敷地には2つの邸宅があったのですが、この応接室はすでに建て直された邸宅側用に作られた応接室だったようです。2つの邸宅は丹下健三の門下生、杉重彦が設計し、昭和53年(1972年)に竣工したそうです。手書きをベースとした青焼図面は美しく、丁寧に描かれてありました。
我々は汗だくになって扉を2枚外したのですが、(建築に全く関係のない旦那さんに感謝!)子供たちが奥にある邸宅を見たいというので、親族の方に許可をいただき、暗闇の中急ぎ足で見学をさせていただきました。洋風のつくりで、階段ホールのシャンデリア、応接室の出窓やカーテンボックス、アメリカでよく見かけた横ルーバーの雨戸、花模様の壁紙やモールディング、何もかもが興味深く、子供たちも探検探検!といってはしゃいでいました。そして図々しくも2階の寝室の作り付けの収納の取手もいただくことになりました。
さて、2枚のとてつもなく重い扉は決して筋肉に自信があるとはいえない私と筋肉にはある程度自信はあるけれどもすでに40代の旦那さんにはかなりしんどい作業とはなりましたが、とりあえず、自邸兼事務所に置くこととなりました。再活用できる可能性があるかどうかも分からず、心の動くままに行動に移してしまうのは私の昔からの性分のようです。この次の投稿で扉がどのように生まれ変わることになるかお伝えいたします!
